いい旅・夢Kiwi スカイキウィ
2008年
4月30日号
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ぽっかぽか通信
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28. アグロドームと「羊の毛刈り」 (1/2)

やっと「アグロドーム」のご紹介となりました。
「Skykiwiのご紹介:History」のページにも少し触れましたが、ロトルアに来て最初に知り合った日本の方が、このアグロドームで働いていらっしゃいました。
その後、ニュージーランドの永住ビザや、ヘリコプター生活後の観光ガイド仕事など、大事なところでいつもお世話になった方です。
アグロドームと直接関係はしていませんが、ある意味現在の自分に最も関わりのある場所とも言えます。

そのような訳ですので、会場でご覧になった方でも見落としているような内容含めて、丁寧にご紹介してみようと思います!

アグロドーム"Agrodome”は、Agro-(農業を意味する接頭辞)とdome(ドーム)を併せた造語になりますが、160ヘクタール(1.6ku:約48万坪)の敷地、そしてドーム型のショー会場での「シープショー」がその母体となります。

牧場には1,200頭の羊と120頭の牛が飼育されています。
ヤギ、鹿、エミュー、ダチョウ、ラマ、アルパカや、キウィフルーツ農場もあり、この中を巡る「ファームツアー」というアトラクションも人気があります。
他にも、ビニールボールに人間が入り斜面を転がり落ちるZorbや、レース用のジェットボート体験、フリーフォール疑似体験等々・・・、敷地内にいくつかのアトラクション会社も集合し、ニュージーランド有数の一大レジャーパークとしてもロトルアを代表する場所となります。

これらのアトラクションご紹介は別の機会にするとして、今回はアグロドームの中心である「羊の毛刈り」に焦点を当ててご紹介していきます。

こちらが、「ドーム会場」で行われる、シープショー(羊の毛刈りショー)の様子です。

一日3回、毎日行われるショーには、いつも各国から大勢のお客さんが訪れています。

会場の後ろでは同時通訳も行われ、各座席でヘッドフォンにて楽しむ事が出来ます。


こちらがショーの主役達。
ステージには、19種類もの羊が勢揃いします。

そしてもちろん、ショー・マン。

それから牧羊犬達も脇役というより、やっぱり主役ですね。
ニュージーランド・ハンタウェイと呼ばれる3匹がステージを駆け回ります。
頂点に立つ「羊の王様:メリノ」の背中の上にもいますよ!


こちらは会場入り口です。
毎日いったい何人の人がここを出入りするのでしょうか。

立ち止まってご覧になる人も少ないと思いますが、右横にある説明板がとても興味深いんです。

ここに、アグロドームの歴史が書かれています。

左上のお二人がアグロドームの創設者
左横のお二人は、その息子さんお二人で現在の経営者

その隣に大勢写っているのは、そのお子さん達
つまり、3代目になります。

写真が小さいので、拡大してご紹介しますね。
この写真は随分昔の写真で、上にも、次号にもご紹介予定のショー・マンもこの写真に入っています。
他にもショー・マンはいますけど、彼が直系3代目という事ですね。
後から見返して、どの人か探してみてください!

このように、アグロドームはファミリービジネスになります。
そして、「先代」創設者の一人、Godfrey Bowen (ゴッドフリー・ボウエン)は、羊の毛刈りにおいても、ニュージーランドのみならず世界的に有名な方になります。

ここからしばらく、会場後ろに展示されている写真と共に、「歴史」のお話しです。
日本も密接に関わってくるんですよ!

左側写真の右手の方が、ゴッドフリー・ボウエンさん。
左手の人は、共同経営者の George Harford (ジョージ・ハーフォード)

右側お二人は現経営者
右手の人が Paul Bowen (ポール・ボウエン)
左手の人が Warren Harford (ウォーレン・ハーフォード)


Walter Godfrey Bowen (ウォルター・ゴッドフリー・ボウエン)は、1922年に北島東海岸の町、Hastings(ヘイスティングズ)で生まれました。
羊牧場の一家に育ちますが、子供時代は弁護士に憧れていたそうです。

しかし、家族がTe Puke(テプケ、ロトルアのすぐ北側の町)に移住すると共に、家庭の事情で学生生活を断念し、酪農場でミルクを絞る毎日となりました。
そして、兄弟と共に、羊の毛刈り職人として16才から働き始めます。

兄弟の中でも、特にお兄さんの Ivan (アイバン)と彼は、「神から与えられた手」と言われる程の類い希なる才能を発揮しました。

1936年、ゴッドフリーは毛刈り1年目の16才にして、一日204頭の毛を刈ったそうです。熟練職人でも一日300頭がせいぜいという時代にです。
そして、19才にして322頭という記録は、当時の設備を考えても驚異的な数字となります。

独自の技術を模索するため、北島中央部各地の牧場を訪れ、熟練職人と仕事を重ねていきました。
羊の毛刈りには強靱な体力とスタミナが要求されます。
刈っている間はずっと羊を抱えながら中腰の姿勢を続け、背筋を伸ばせるのは刈り終わって次の羊と交換する時だけです。

「最小の労力で、いかに効率よく毛刈り作業を続ける事が出来るか」

天性の観察眼で数々の職人達の様子を観察し、兄のアイバンと試行錯誤を繰り返す事により、Bowen Technique (ボウエン・テクニック)と呼ばれる技術を確立しました。
羊の抱え方を工夫し、また、バリカンを持っていない方の手をまっすぐ羊の体に伸ばす事により、均等な長さの毛を刈る事が出来るようにしました。
この方法は世界中の毛刈り職人に取り入れられ、羊毛産業の発展にも寄与しました。

また、当時羊の毛刈りは春から初夏の1年に一度だけしか行われていませんでした。
冬を前にして毛刈りをすると、寒さに耐えられないと考えられていたからです。
ところが、秋にも刈り、年に2回の毛刈りをする事が、反対に羊の成長にも良い結果をもたらす事が分かり、ニュージーランド経済発展にも大きく貢献しました。

第2次大戦後、ゴッドフリーは会計学を学び、製材業をファミリービジネスとして始めました。
この頃から彼の毛刈りに対する興味は、職業としてよりもスポーツへと転じ、数々のコンテストに参加しアイバンと共に優勝を競ってきました。彼ら2人の「ボウエン・テクニック」はまったく他を寄せ付けませんでした。
2人は最強の兄弟(コンビ)でもあり、同時に最大のライバル同士でもあった訳です。
1953年には9時間で456頭の毛刈りという世界記録も打ち立てました。


世界記録樹立はまた、彼の人生を変えました。
同年末、製材業を終えて、ニュージーランド羊毛委員会の主任毛刈り教官を拝命します。
委員会は、ゴッドフリーの毛刈り職人としての世界的名声だけではなく、彼の理路整然たる演説者としての才能が、ニュージーランドの羊毛を世界に広めるために必要であると考えました。

1954年、委員会で働くゴッドフリーは30人の教官を組織し、世界で始めてリンカーン大学、マッセイ大学に毛刈りの学科を設けました。そして、職業としての毛刈りの社会的位置付けは大きく引き上げられました。

この後、チームでも個人でも記録への挑戦を続け、1957年には9時間に463頭の毛刈りと、自身の世界記録を塗り替えました。
また、1960年には羊毛産業への貢献を称え、バッキンガム宮殿において大英帝国勲章、MBEが授与されました。

イギリス連邦以外の国からも「ボウエン・テクニック」を学びたいとの声が高まり、日本、アフガニスタン、アルゼンチン、インド、パキスタンへ「教育ツアー」へと出かけます。

1963年には当時のソビエト連邦最高指導者、フルシチョフ首相からクレムリンにおいて、外国人はおろか、ソビエト国民にも滅多に与えられない「ヒーロー・オブ・レイバー(労働者)」「スター・オブ・レーニン」の2つのソビエト最高勲章を授与されました。

(右の写真は「エリザベス女王・フィリップ殿下とボウエン兄弟」 撮影年月は分かりません)

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