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2010年
6月9日号
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ぽっかぽか通信
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39. ポカレカレアナ(1/2)

マオリのラブソング、「ポカレカレアナ」についての話題です。

前回、「38.マオリ・ハンギ&コンサート」で、コンサート中に歌われたポカレカレアナをご紹介しました。
ロトルアでのマオリ・コンサートでは、必ずこのポカレカレアナが歌われます。
ロトルア湖にまつわる伝説、「ツタネカイとヒネモアのラブストーリー」を再現するように、この曲が演奏されます。

ロトルアのマオリの人達はこの歌に、「自分たちの祖先から受け継がれた歌」という思い入れを込めているようにも感じられます。
ロトルア・ガイドである私も、ガイド中、そのようにこの歌をご紹介しています。
ところが、ロトルアのコンサートで歌われるポカレカレアナは、あくまで、「ロトルア・バージョン(版)」であり、一般的なものではないんです!

まず、前回の「ぽっかぽか通信」でご紹介した、コンサートの様子をもう一度ご紹介します。
5月3日にロトルア ディスティンクション・ホテルのマオリ・ハンギ&コンサートで撮影したものです。
もう見たので良いという方は、飛ばしてくださっても大丈夫です。下の歌詞をご覧ください。

(3分2秒)

http://youtu.be/VOZBuhWzTWM

ここでの歌詞ですが、冒頭、

Pokarekare ana 波立っている
Nga wai o Rotorua ロトルア(湖)の水の息吹

と歌っています。
これが、ロトルア・バージョンという事になります。

このHPやブログでよくご紹介している、NZを代表する歌手、ヘイリーも、このポカレカレアナをよく歌っていますが、ヘイリーの歌うポカレカレアナ、そして、一般的に歌われるポカレカレアナの歌詞の冒頭は、このように歌われます。

Pokarekare ana 波立っている
Nga wai o Waiapu ワイアプ(川)の水の息吹

ワイアプ川は、北島の東海岸北東部、イースト・ケープ(東岬)近くを流れる川です。

ちょうど、短い動画を見つけましたので、こちらでご確認ください。

(45秒)

http://youtu.be/URcbg81WXOQ

お分かりになりましたか?
こちらが、一般的な歌詞となります。

ポカレカレアナは民謡ですから、「いつ、どこで、どのように生まれたか?が、良く分からない」という事も、確かに言えるでしょう。
それが「民謡」ですからね。

ただ、ポカレカレアナの場合、誕生されたといわれる年が、「第一次大戦の始まる1914年頃」と、大昔ともいえないところに、問題があります。
今でも、ロトルア出身の人は、自分たちの祖先から生まれた歌であると思っている方もいらっしゃいますし、この問題はまだ解決していませんが、Paraire Tomoana.:パライレ・トモアナ(没1946)の家族(子孫)が、この歌詞と曲を保護しています。

このポカレカレアナについては、とても詳しい解説が、「New Zealand Folk Song」というHPで紹介されています。
URL:アドレスは、http://folksong.org.nz/pokarekare/index.html(英語)

また、Wikipedia にも掲載されています。
http://en.wikipedia.org/wiki/Pokarekare_Ana(英語)

詳細を調べたい方は、そちらをご覧ください。

ここでは、かいつまんでご紹介しますが、これが真実という訳ではありませんので、ご注意ください。
それが、「民謡」ですものね。

NZ北島、東海岸に住む、パライレ・トモアナというマオリの指導者・作曲者が、1912年、クイニという18歳の少女にラブレターを送りプロポーズし、おそらく1913年、同じく東海岸の町、ギズボンで彼女に歌を捧げました。

一方、NZ北島の北部、ノースランドと呼ばれる地方の、ある父親、または恋人が、第一次大戦に出兵する息子(彼氏)に言葉を贈ったそうです。
この「彼」や、その仲間が、オークランドの北にある、タカプナという所で行われた陸軍のキャンプ地で、他の兵士も一緒に加わって、歌を作ったそう。
それが1914年の事です。
この際、ダルメシア兵士(クロアチア、旧ユーゴスラビアから独立)が母国の民謡にのせて演奏し踊ったという話もあるようです。
そう、ポカレカレアナは、元々3/4拍子だったんだそうです!

1917年、戦地から戻った兵士が、「トレレ」という、ベイ・オブ・プレンティ地方、ロトルアからも1時間半程の距離にある海岸線の町へ帰郷した際、この歌を披露し、それを上記のパライレ・トモアナが聞いたそうです。
そして、トモアナは、イースト・ケープ(東岬)の近くの町を訪れ、そこでもう一人の仲間と2人で曲を磨き上げ、トモアナとクイニのラブストーリーの歌へと作り直したそうです。
ですから、1914年、陸軍キャンプで歌われた時は、上記のWaiapuではなく、Hoki anga(ホキアンガ、ノースランドの西側の海岸線)ではないか?と言われています。

トモアナは、1917年6月にマオリ軍基金の募金活動のため歌とダンスグループを結成して、軍歌を数曲作り演奏しました。
7月7日、出兵前のマオリ軍部隊に、ポカレカレアナも演奏しました。実際、軍歌として、この歌は兵士の絆をより一層深めたそうです。

同じく7月、この歌がトモアナによって結婚式で歌われましたが、それが「一般人」が初めて聞いた時であり、この事が長い間、1912年、13年のトモアナとクイニのラブストーリーと結びつけて心に残る結果となったと考えられています。

1921年に、マオリ軍基金の機関誌にポカレカレアナについて発表されましたが、国立図書館に保管されている、編集者名が記載されているこの機関誌の表紙ページは、紛失してしまったようです。
1927年にトモアナ自身の努力によって、「トモアナによるアレンジ(編集・編曲)」と記載されたそうです。

1990年代に、トモアナの子孫によって、1912年4月12日にトモアナがクイニへ宛てた直筆の手紙が公開されるという機会があり、期待されました。
ところが、実際、トモアナのお孫さんから国立図書館へ提出された手紙は、コピーで、しかも、最近になってからタイプされた物でした。

ポカレカレアナには、この、1921年に発表された歌詞と、1990年代に国立図書館に提出されたトモアナ家族からの歌詞との2つが存在します。

両者の違いは、言葉が若干違っている事と、歌詞の順番、2番と4番が逆になっているという事ですが、現在歌われている歌詞は、この両方が混ざったものになっています。

さて、他の人の書いた、論文のようなHPページを、詳細にわたって無断で解説するのも意味のない事ですから・・・、説明はこのくらいにしておきます。

要約すると、ポカレカレアナは、おそらく、第一次大戦前に生まれ、特にマオリ兵士の心の支えとなり、好まれて歌われた曲。
ロトルアのマオリの人達は、この歌と、「ツタネカイとヒネモアのラブストーリー」を結びつけ、ロトルア・バージョンとして歌い継いでいる。
という事でしょう。

もちろん、民謡ですから、もしかしたら、ロトルア出身の兵士も、この歌作りに加わり、曲のオリジナルになっていたのかも?しれませんよね。
それはもう、誰にも分からないことでしょう。

ちなみに、この歌は、マオリ軍兵士によって、朝鮮戦争でも韓国人の前で歌われたそうです。
ですから、韓国でこの歌は、特に人気があり、韓国語でも歌われています。
韓流ドラマでも歌われていますので、興味のある方はネット検索してご覧になってみてください!


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