いい旅・夢Kiwi スカイキウィ
2007年
11月12日号
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ぽっかぽか通信
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20. トンガリロ国立公園 (3/3)

一番南に位置する山が、ルアペフ(Ruapehu)山です。

北島最高峰のルアペフ山。
山頂は、タフランギ (2,797m)、 テ・ヒューヒュー (2,755m) 、パレテタイトンガ (2,751m)の3つの頂からなります。
八ヶ岳より少し低い高さになります。

ルアペフは世界でも有数の活動活発な活火山になり、常に活動の様子が詳細に観測されていますが、リクリエーションの中心地としてトレッキング、スキーと大勢の人で賑わう場所でもあります。
山頂付近は万年雪と氷に覆われ、8つの氷河も有します。北島唯一、氷河の存在する場所でもあります。
頂の間には火口湖が雪解けと雨水で満たされ、噴火活動による灰と蒸気により暖められています。その水も定期的に採取し調査されています。
ルアペフの噴火活動は少なくとも25万年前に始まり、その後大きく4つの段階を経て今の形になったと考えられています。
近年では、1895年、1945年そして1995-1996年と50年周期で大きな噴火を記録しましたが、小さいものでは1945年以来60回も噴火活動を行っています。
最近では、2007年9月25日夜に突然小さな水蒸気爆発が起こり、登山客1名が負傷しました。

右側の写真は、1995-1996年噴火の様子ですが、ファカパパ・ビジターセンター内で展示・放送されているモニター画面を撮影したものです。
1995年9月25日夜に大きな噴火がありましたが、この時私は日本に帰国中で、新聞でその記事を読みました。
1996年6月17日朝の噴火当時は、ここ、ロトルアにいました。
強い南風の晴天の日で、水蒸気爆発によって吹き上げられた火山灰がロトルアまで南風に乗って運ばれ(‘トンガ’‘リロ’ですね!)、日中でも日が陰っていました。
屋根や自動車に降り積もった灰の掃除が大変だったのを覚えています!
いずれの場合も、事前に警報が出され、怪我人は報告されていなかったと思います。
1996年の噴火により、山頂の火口湖は埋もれてしまいましたが、その後また徐々に雪解けや雨水が溜まり、満たされていきました。やがて2005年には、テフラと呼ばれる火砕流堆積物で出来た固い器の縁まで満たされましたが、2007年3月、その縁を超え、ラハールと呼ばれる泥流が流れ出しました。この時も早くに警報が出され、目立った被害も怪我人も無く事なきを得ました。


左手に3つの山を眺めながらドライブの後、左折し、まっすぐファカパパ・ビレッジに向かって登っていくと、ルアペフ山がこのように見えてきます。
1929年に建てられた「シャトー」ホテルが手前にあります。9ホールのゴルフ場フェアウェイに入っての撮影です!
ここから左を見たナウルホエ山の景色も良いんですよ。
前ページにご紹介した、「シャトーホテルからのナウルホエ山の眺め」は、このホテルの左横から撮影した写真です。

シャトーホテル周辺が、ファカパパ・ビレッジ(村)になります。ホテルのすぐ上にはビジターセンターがあります。
気象情報やパンフレット・地図、お土産物の他にも、模型やビデオなど多くの展示物があり、散策前に是非訪れておきたい場所です。

クリスマス以外の日は、毎日オープン!
運営は、DOC(自然保護局)が行っています。
この地点で標高は1,157mになります。
国立公園内に村が存在する事も異例ですが、夏場は約150人、冬場で400人以上、常時定住者のいる小さな村になります。
そして、ファカパパ・ビレッジはニュージーランドで最も高い標高に位置する居住地区となります。

ここからさらに上に ブルース・ロードを上っていくと、スキーエリアになります。
ルアペフ・スキークラブにより、1923年に初めてのスキーロッジが建てられ、この地域がイウィカウ・ビレッジと呼ばれるようになりました。
1938年にはロープで引っ張られるTバーリフトも出来ました。
標高1,770mのイウィカウ・ビレッジまでブルース・ロードを上っていくと、森林限界を過ぎ、溶岩のごつごつした、まさに火山道ドライブを楽しめます。
この辺りまでは積雪量も少なく、ファカパパ・ビレッジからシャトルバスで通うほかにも、マイカーでここまで上る事も可能です。チェーンも常時必要という訳ではありませんので、気軽に行ける場所になります。
そのため、この辺りのスキー場は人工降雪器の力を借り、簡単なファミリーゲレンデとなっています。
上級者はさらに上の方までリフトで上がっていく事になります。

上記左側の写真奥で、「ロード・オブ・ザ・リング」の撮影も行われました。

ルアペフ山の名前の意味ですが、Rua(穴) pehu(爆発する、または大きな騒音を立てる)。
爆発する穴、もしくは、大きな騒音を立てる穴、という意味になります。
由来についての伝説は特に紹介されていませんが、ここでもう一つ、トンガリロと前ページで少しご紹介したタラナキについて、マオリの面白い伝説をご紹介します。

1ページ目のトンガリロ山・ケテタヒ小屋から撮影した遠景写真でご紹介しましたが、ロトアイラ湖の先にピハンガ(Pihanga:1325m)という火山があります。
伝説によると、ニュージーランド北島の西端にあるタラナキは、かつてはトンガリロ、ナウルホエやルアペフと共に北島中央部に住んでいました。
タラナキは可愛らしいピハンガに恋をしました。
しかし、不幸な事に、ピハンガはトンガリロの奥さんでした。
タラナキとトンガリロの間で、壮絶な戦いが繰り広げられ、大地は揺らぎ空は暗黒に包まれました。
そして、戦い終わってピハンガはトンガリロの脇に寄り添うように立ちました。絶望と悲しみ、嫉妬と怒りはタラナキの足を大地から引き剥がし、彼は太陽の沈む西の方へと一人去っていきました。
タラナキの涙が、トンガリロとタラナキの間に位置する「ファンガヌイ国立公園」の中を流れる川、ファンガヌイ川を作ったと言われています。
タラナキ山が雨雲に包まれている時は、ピハンガを思って泣いている、見事な夕日が沈む時は、タラナキは自分の雄姿をピハンガに見せていると言われています。
また、トンガリロの噴火は、タラナキに「こちらに戻って来るな」と警告しているとも言われています。

最後になりますが、トンガリロ国立公園についてのご説明です。
トンガリロ国立公園は、1887年9月23日にニュージーランドで最初、世界では4番目に国立公園として指定されました。

1840年、ワイタンギ条約により先住民マオリはイギリスの保護下に入り、マオリの国「アオテアロア」は平和的合議の下に植民地となりました。
その後、マオリとイギリス軍の間で戦いが始まる訳ですが、長い戦争の後、完全に征服したイギリスからは次々と土地売人も入植し、森林は伐採され牧場へと土地は切り売りされていきました。

マオリにとっては聖地であるトンガリロ。
時の情勢には勝てず、このままでは大事な聖地が切り刻まれてしまいます。
そこで、ツファレトア族の酋長、テ・ヒューヒュー・ツキノ4世が決断し、永久保護を条件にイギリス王室へとトンガリロの土地を寄贈しました。その結果、ニュージーランド初めての国立公園が誕生しました。

ユネスコから1990年12月に世界遺産(自然遺産)に登録され、上記の文化的背景が評価された事から1993年12月に文化遺産登録基準が追加的に適用され、複合遺産となりました。
文化的景観として世界で最初に世界遺産登録されました。

さて、長くなりましたが、上空写真をいくつかご紹介して、今回の〆とします。


西側から東に向かってのトンガリロ国立公園全景です。
右からルアペフ山、ナウルホエ山、トンガリロ山が3つ並んで見えています。
トンガリロ山は雲と混じって見えにくいかもしれませんが、ナウルホエ山のすぐ左隣に低く見えています。

右の写真は、東側から西に向かっての景色です。
ルアペフ山の様子です。ファカパパ・ビレッジはこの斜面の反対側にあります。

左上、遠くにタラナキ山が見えています。

下の写真は、タラナキ山を西に向かって見下ろした景色です。


記事の内容について、正確を期するため資料、本やサイトで再確認しましたが、間違いがある可能性がある事をご了承ください。
参考資料・本・サイト
Tongariro National Park World Heritage Area Information Package DOC
Maori Place Names
Legends of Rotorua
富士山クラブ
New Zealand Herald
DOC
The Encyclopedia of New Zealand
Wikipedia

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